言語学オリンピックへの出場を検討されている方に向けた,問題対策のチュートリアルです.
その他の記事
問われること
言語学オリンピックで必要なのは初見の言語のデータを分析し,隠れているしくみを解明する力です.予備知識が無くても,問題で与えられたデータに基づいて解答を導き出すことができます.
Q. 語学力は必要?
言語学オリンピックでは語学力は問われません. 言語学と語学は両方言語を扱うものですが,目的や手法が大きく異なります.
- 言語学……人間の言語とはどのようなものかを明らかにする
- 語学 ……ある言語を使えるようになる
問題は日本語で用意されますし,受験者は出題される言語を知らないものと想定されています.
Q. 言語学の知識は必須?
問題を解くときに言語学的な知識が役立つことはありますが,用語などが直接問われることはありません.言語学の知識が無くても,与えられたデータからルールを発見することができるはずです.
初めてのかたはぜひJOLお試し問題集を見てみてください.知らない言語の仕組みを解き明かす楽しさが体験できます.
各大会の問題について
1. 日本言語学オリンピック (JOL)
2時間,5問程度の競技を行います.設問への解答のみが採点され,APLOやIOLのような記述式による仕組みの説明は求められません.
過去問もぜひご覧ください.
2. アジア太平洋言語学オリンピック (APLO)
2019年から開催されている大会です.APLO2021にはアジア太平洋の6つの国と地域から182人が参加し,更にゲストとしてアジア・太平洋地域外の6つの国と地域も参加しました.
この大会は日本代表二次選抜を兼ねています.この大会の結果に従ってIOLの日本代表8人が決定されます.
参加者は5時間で5問を解きます.時間が長い分,JOLよりも難易度の高い問題が出題されます.
APLOではJOLと異なり「見つけた規則を(整理して)示すこと」が求められ,採点の対象となります.
APLOの過去問もご覧ください.
3. 国際言語学オリンピック (IOL)
2003年から開催されている言語学オリンピックの国際大会です.例年世界中の代表が会場に集まり,競技のほかにも観光やレクチャー,クイズ大会など親睦を深めるためのイベントが行われます.
IOLには個人競技の個人戦と4人チームで行う団体戦,2つの競技があります.個人戦では6時間で5問,団体戦では3-4時間で1問に取り組みます.個人戦の問題はAPLOよりもさらに一回り難しいです.団体戦の問題は,本当に,本当に,難しいです.
IOLでも,「見つけた規則を(整理して)示すこと」が求められ,採点の対象となります.
問題の特徴と対策方法
ここでは言語学オリンピックに初めて触れる方やもっと難しい問題に挑戦したい方向けに問題について説明します.
問題の特徴
まずは例題をご覧ください.
以下にスワヒリ語の動詞があります.
スワヒリ語 | 日本語訳 |
---|---|
1. nilipika | 私は料理した |
2. anapika | 彼は料理している |
3. ninajenga | 私は建てている |
4. ??? | 彼は建てた |
Q. ??? を埋めてください.
ヒントは3段階に分かれていて,ひとつずつ見ることができます.
まず,複数のデータに現れている部分をヒントにスワヒリ語のデータを分解します. 1と2にはpikaが共通して含まれています.試しにここで切ってみます.1と2の日本語訳には共通して「料理する」が含まれているため,pika = 料理する と推測できます. 同様に切れそうなところを探して切っていきます.2と3に登場しているnaを切り出してみると,今度は1と3にniが現れていることがわかります.
スワヒリ語 | 日本語訳 |
---|---|
1. ni-li-pika | 私は料理した |
2. a-na-pika | 彼は料理している |
3. ni-na-jenga | 私は建てている |
4. ??? | 彼は建てた |
ni-が現れている1と3の日本語訳では「私は」が共通しています.同様に,na-が現れている2と3では両方とも訳が「~している」という形になっています.
まだ意味がわかっていないのはa-,li-,jengaですが,他の部分の意味が分かっているのでこれらの意味も消去法的にわかります.
主語 | 時制 | 動詞 |
---|---|---|
ni- 私は | na- ~している | pika 料理する |
a- 彼は | li- ~した | jenga 建てる |
このように,言語学オリンピックの問題は与えられたデータ(+一般常識)のみから解答できるようになっています.語学力・言語学の知識など,事前知識は必須ではありません.
とはいえ,知識が問題を解くうえで役に立つこともよくあります.上の問題でも,
- 主語を表す部分が動詞にくっつく言語があること
- 時制が英語や日本語とは違って動詞の前側に現れる言語があること
などを知っていると,分析が楽になったり,発見した答えに自信を持てたりするようになります.
対策方法
たくさん問題を解くことが最も大切です.たくさん解いていくうちに,解き方のコツがつかめてきます.問題は過去問・資料まとめやことはじから探せます.ことはじではジャンルや難易度などから問題を検索することができます.
できるだけ正答を見ず考え抜くのがおすすめです.解けないと思った時には,後述のテクニックがヒントになるでしょう.問題を解いて丸つけした後,もっとうまく解くにはどうしたら良いか,ということをうんうん考えてみるのもおすすめです.
必須ではありませんが,先ほど見たように,「言語あるあるな法則」や言語学で培われてきた言語の仕組みの捉え方をある程度知識として持っていると問題を解きやすくなることがあります.こういった知識や考え方はやはり言語学オリンピックの問題を解くことで 0 から身に着け始めることができます.加えて,言語学の教科書などから言語学について学ぶことでも身に着けることができます.ただし教科書を読んだらその分問題を解きましょう.知識は使うことで自分のものになります.
テクニック
データの分析・規則の推論をするなかで役に立つテクニックをいくつか紹介します.
- 注・設問を見る
- データの分解
- 要素の抽出
- マークアップ
- あるなしクイズ
- 表づくり
- 頻度解析
- 見つけた規則のメモ
- 手を動かす
1. 注・設問を見る
注や設問は大きなヒントになっていることがあります. 注に問題を解くうえで必要な情報が書かれていたり,設問から逆算することで分析がしやすくなることがあります. 問題を解き始めたらまずは注と設問を読みましょう.
2. データの分解
文などのデータをいくつかの要素に分解します. ひとつひとつのデータがいくつかの要素からできていると思われるときに必須のプロセスです. どこで区切れるのかは必ずしも明らかではありません.それらしいところで切ってみて,以下に示すような方法でつじつまが合うことを確認しながら進めていくのが大切です.
3. 要素の抽出
必要そうな情報を検索しやすいように整理します.抽出する情報は問題によって大きく変わります.
- 私が彼を見た
- あなたたちが私を殴った
- 彼が私たちを運ぶ ……
のような訳文を与えられたとき,
- 主語の人称(1 話し手/2 聞き手/3 それ以外)・数(単数/複数)
- 目的語の人称・数
- 時制
などの情報が必要になりそうだと予想できます.
これを以下のようにまとめて,検索しやすくすることができます.
主語 | 目的語 | 時制 | 動詞 |
---|---|---|---|
1単 | 3単 | 過去 | 見る |
2複 | 1単 | 過去 | 殴る |
3単 | 1複 | 非過去 | 運ぶ |
4. マークアップ
データを分析しやすいように,色や線などを使ってマークします. 同じ語を同じ色でマークしたり主語に波線を引いたりして,見やすいように工夫します.
スワヒリ語 | 日本語訳 |
---|---|
1. ni-li-pika | 私は料理した |
2. a-na-pika | 彼は料理している |
3. ni-na-jenga | 私は建てている |
5. あるなしクイズ
出題対象の言語のデータとその訳などが既に対応付けられているときには,あるなしクイズによって要素と意味の対応を見つけていきます.
スワヒリ語 | 日本語訳 |
---|---|
1. nilipika | 私は料理した |
2. anapika | 彼は料理している |
3. ninajenga | 私は建てている |
4. ??? | 彼は建てた |
上のデータで pika は1,2には含まれていますが3には含まれていません.日本語訳でも1,2にあって,3にないものを探します.
ある | なし |
---|---|
1. nilipika 私は料理した |
3. ninajenga 私は建てている |
2. anapika 彼は料理している |
よって pika が「料理する」に対応すると推測できます.
ni,na も同じようにスワヒリ語のデータと日本語訳で「あるなしクイズ」をすることで機能を特定しています.
6. 表づくり
いくつかの要因が複雑に絡んでいるデータを整理するのに役立ちます.
日本語の語が点字とひらがなで書かれています.
Q. 「うきくさ」を点字で書いてください.
「いか」「すいか」「あかつち」から,あるなしクイズによって「い」「か」を表す点字が分かります.「つ」「あ」も特定でき,また,消去法的に「た」「す」「ち」もわかります.点字一文字がひらがな一文字に対応していることが分かれば残りの文字も特定できます.
しかし,設問ではここに登場しない「う」「く」「さ」を書くことを求められています.この問題が問題として成立するためにはなにかの規則によって点字の形が決まっていると仮定しなければなりません. ここで,表を作ってみましょう.
データがそろっているイ段に注目します.イ段の文字は全て左上と左中が埋まっていており,この部分が母音 i を表していると考えられます(オレンジ色の部分). 逆に,「き」「し」「ち」からここを除いた部分,つまり左下,右中,右下が行の違いを表していると分かります(青色の部分).
他の文字についても同じように分析します.
行を表す部分と段を表す部分を組み合わせれば「う」「く」「さ」の点字がわかります.
7. 頻度解析
ひとつひとつのデータとその意味などが対応づけられておらず,上のような方法が使えないときに特に役立ちます.
以下にインドネシア語の語句とその日本語訳がランダムな順番で並んでいます.
赤い目,赤い水,水の流れ
Q. どれがどれに対応するか明らかにしてください.
インドネシア語のデータは全てふたつの要素から成り立っているようです.これに合うように,日本語も分解してみましょう.
インドネシア語は air, merah, arus, mata,日本語は赤い,目,水,流れという4つの要素からできています.それぞれの出現回数を表にまとめます.
インドネシア語 | 出現回数 |
---|---|
air | 2 |
merah | 2 |
arus | 1 |
mata | 1 |
日本語 | 出現回数 |
---|---|
赤い | 2 |
目 | 1 |
水 | 2 |
流れ | 1 |
これで出現回数からair, merahが赤い,水のどちらか,arus, mataが目,流れのどちらかだと分かりました.
さらに分析を進めるには,語順にも注目する必要があります.日本語では修飾する要素(赤い,水の)は必ず修飾される要素(目,水,流れ)の前に置かれています.この情報も加えた表を作ります.インドネシア語の語順は分からないので,とりあえず左,右とします.
インドネシア語 | 左 | 右 |
---|---|---|
air | 1 | 1 |
merah | 0 | 2 |
arus | 1 | 0 |
mata | 1 | 0 |
日本語 | 修飾 | 被修飾 |
---|---|---|
赤い | 2 | 0 |
目 | 0 | 1 |
水 | 1 | 1 |
流れ | 0 | 1 |
ここで,インドネシア語で左側が修飾される要素,右側が修飾する要素だとすると,airは修飾要素として1回,被修飾要素として1回現れていて「水」とおなじ分布となり,merahは修飾要素として2回現れていて「赤い」と同じ分布となります.
ここまでわかれば,あとはあるなしクイズで全て解くことができます.
インドネシア語 | 日本語 |
---|---|
air merah | 赤い水 |
arus air | 水の流れ |
mata merah | 赤い目 |
8. 見つけた規則のメモ
出題者たちが問いたいのは,いかにうまく規則を見つけ,説明できるかというテクニックです.設問も,規則がきちんと見つけられたかを試せるように作られています.ですから発見した規則を整理しておくことは必然的に,設問を解く上で役に立ちます.JOLでは規則の説明そのものは点数になりませんが,手元のメモなどにきちんとまとめておくと良いでしょう.APLOやIOLでは規則の説明が採点対象になります.
スワヒリ語の問題を再掲します.
スワヒリ語 | 日本語訳 |
---|---|
1. nilipika | 私は料理した |
2. anapika | 彼は料理している |
3. ninajenga | 私は建てている |
4. ??? | 彼は建てた |
このデータからこのような表が作れます.
主語 | 時制 | 動詞 |
---|---|---|
ni- 私は | na- ~している | pika 料理する |
a- 彼は | li- ~した | jenga 建てる |
分かりやすく整理できました.こうしておけば,問題となる「彼は建てた」のスワヒリ語訳がミスなく,すぐ分かるでしょう.表を作る上では以下の2つのポイントが大事です.
- どの形がどんな意味か
- どんな順番に出てくるか
では, tulisafiri という語が追加で出てきたとしましょう.この表を使えば少しは分析することができます.真ん中に li- という形が見えますね.上の表を見ると,li- は「〜した」という意味ですから,この語はきっと動詞の過去形だろう,と推測できます.さらに,li- が入っているとするならば tulisafiri は tu-li-safiri と分かれるはずです.上の表を見ると,スワヒリ語の動詞は 主語-時制-動詞語幹 という順番で要素が並びますから,きっと tu- が主語で, safiri が動詞語幹であると推測できます.実はその通りで, tu- は「あなたは」という主語を表す形で,safiri は「旅行する」という動詞語幹です.
このように,規則を整理しておくのは言オリを解くためのかなり有効なテクニックです.
9. 手を動かす
特に本番では行き詰まってくると作業が止まってしまい,思考も止まってしまいがちです.上に挙げたテクニックのうちまだ試していないものをやったりして1点でも多く点が取れるよう最後まで諦めないのが大切です.